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束の間、笑い声

仕事をふり払う時間をつくる。
たたみの上に母と坐る。
悲しく心配な話もしなければならないが、笑いもする。
曲げられない女をみてなく。
昔っから、家族に知られないようにないたと思い出す。

最近、複数の人に、お金がなくひとりだから哀れだといわれる。
家族がいて頼れる人がいて、子どもがいて、
お金の心配もなくて、企業という保証に守られて、
それは確かに幸せなはずだ。

でも、幸せは人に決めてもらうものではない。
私にも幸せな瞬間は訪れている。
悲しく痛苦しい死にたくなる時間と同じように。

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コメント

仕事もなくお金もないのは、大変だと思うけど
イコール不幸だとはぜんぜん思わないよ

そりゃ、仕事にもお金にも家族にも恵まれていたら
すごく楽だとは思うけど
些細な幸せにココロ動かされる波がゆるくなりそう・・・

けろりん、ありがとう。

こないだ、新潟に行って思ったのですが、人が一動物として、自然と近くで暮らすなら、自分の食べ物を自分の手と足でとれるなら、人に雇われる仕事もお金も、比重は軽くなるかも。都会では、比重は重くなる。

私も常に、貧は清なり、と唱えているのだけど、
時々、人の言葉の力に、押しやられてしまいます。絶対感が弱い、まだまだ、修行が足りないのな。貧でも富でも、いずれにせよ、いまの経験や感情、いま見つけられる幸せ、大切にしなくちゃね。

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