« 別れとチェブラーシカ | トップページ | 静かな »

お師匠さんと、老犬

きのう、老犬に会いに帰った。
きょうは仕事で、また遅帰り。そして家でも報告書。
最後まで今年は仕事に追いかけられる。

たとえ仕事だろうと、人と、話す、笑む、苦む、
一人、涙し、諦め、冷め、仕事し、また泣き濡れ、疲れ、眠る、
そんな繰り返しだった。
そこにきのうは、犬と戯れ、犬を撫で、家族と話すご飯が加わった。

やるせなさや理不尽さが募ると、犯罪に発展するのか。
ストレスや重い悩みが続くと、脳が萎縮するのか。
上のものと、悲しみが一緒なのかは知らないが、
悲しみは大切に抱えてやっていけたらいいと思う。

嬉しかったこともみな、不思議なことに悲しみになってしまった。
いまはそれしか残されていず、それゆえ大切なものと思う。
いつか悲しさは色があせ、別のものに風化していくのだろう。

時に大笑いをもたらしてくれる学生に、
ふと声を交わしてくれる人に、
言葉無しに受け止めてくれる動物に、感謝。

おととい、職場で、多くを教えよう伝えようとしてくださる先生に、
今年一年お世話になった気持ちを表すため、何かお菓子でも贈ろうとしたが、
断られてしまった。
先生は、先生が若かったころのお話をしてくださった。
先生の亡き師匠さんは、
「私に恩を返そう、返せると考えないで、その恩は借りておいて、
いつかあなたが他の人に同じようにしてあげなさい」
とおっしゃったそうだ。
そして、先生は、いま私に伝授することで、
ようやく、お師匠さんに借りた恩を返せているのだとおっしゃられた。
宗教を越えた人間らしさをきいて、
私はまた泣きそうになった。

そして、外地で助けてくれた人の好意を思い出した。
ありがとうという言葉でしか、感謝を表せなかったそのとき。
ありがとうという言葉は、その意味のとおり、
「あり得ない・有り難いことを受け取る」という意味までしかないのだ。
借りたままで、私はまだ何もお返ししてはいないのだ。
やはり機会があるのなら、借りたものを、私の時間に、
また別の誰かに返したいと思うことは間違ったことではないと確かめた。

先生に借りている恩は、ただし、まだ当分、返せそうにはない。

« 別れとチェブラーシカ | トップページ | 静かな »

コメント

え?
しっかり恩を返していると思うけど・・・
(まゆの笑顔でみんな幸せだよ~)

でも、昔から年上は年下を・・・と言って
先輩が後輩におごってあげたりしていたものですが
昨今、年上だからと言って収入が多いとは限らないので
申し訳ないけどいつも割らせていただいてます!

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: お師匠さんと、老犬:

« 別れとチェブラーシカ | トップページ | 静かな »